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2020.01.27

gallery35の京都散歩4
金運を求めて行列が絶えない「御金神社」

京都には数々の観光スポットがありますが、こちらは

「金運がアップしすぎて困る!」とうわさの、

京都で行列が絶えない神社です。

その名も「御金神社」。

みかね神社です(おかね神社ではありません)。

Gallery35から徒歩3~4分、烏丸御池駅から御池通り西洞院を上に上がったところにあります。

P_20170919_153206.jpg

黄金色に輝く鳥居がシンボリックな金運・開運神社だそうです。

S__3334155.jpgご近所ですので、提灯を奉納しています(宣伝っぽいですが......)。

galleryに来た際にはぜひお参りしてください。

少し御金神社について、調べてみました。

創建の詳細は不明とされていますが、もともとは金属の神様で比較的地味な神社だったということです。

政府の神社庁が認可したのは1883年(明治16年)。

ただしそれ以前から密かに民家で司祭されていた鍛冶屋の屋敷神という説もあるようです。

現在の黄金色に輝く鳥居が建てられたのは1967年、48年前のことのようです。

人類の歴史と黄金は切り離せないものがあります。

世界最古の4大文明、エジプト文明、インダス文明、チグリスユーフラテス文明、中国文明。

人類最古の金文明は紀元前6000年のメソポタミア文明。

エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクは言わずもがな。

中国文明においても紀元前1700年、殷の時代にすでに金装飾が使われていました。

またアメリカ大国に場所を移すとインカ文明、マヤ文明......。

つねに黄金は人類の富と信仰の象徴だったといえるでしょう。

以前、南米ペルーに行ったことがあります。

ペルーといえば世界遺産の「マチュピチュ」に象徴される消えた文明インカ帝国。

インカ文明といえば謎めいた文明の最たるものですが、それは「説明がつかない」からでしょうか。

いわゆるオーパーツ。

ナスカの地上絵からはじまり、完全球体、極小の石に開けられたミリ単位の穴......。

現代においては当たり前の技術ですが、インカ帝国は紀元前の文明です。当時の技術ではありえない、というのです。

実際、私が訪れた博物館の学芸員も「この小さな穴を石に開けるのがいかに難しいか」ということを説明してくださいました。今よりアホで浅はかな私には理解できなかったのですが、今となってはその一端が理解できるほどにはなりました。

ややオカルトチックな話が絶えないインカ文明ですが、実はヨーロッパよりも早く金の加工を行っていたようです。

日本はというと時は弥生時代、中国授かった「漢委奴国王印」が有名です。その後、平安時代に中尊寺の金色堂に代表される「黄金文明」が花開きます。秀吉の「金の茶室」、金閣寺......きりがありません。

このように考えると、人類の歴史は金の虜の歴史でもあったのかもしれません。

さて、御金神社。

もともとは金属を祭る神社でしたが、イメージを一新、黄金色の鳥居にしたことで、そのご利益を求める参拝者で連日長蛇の列ができています。

古代ギリシャ、アリストテレスの時代から脈々と受け継がれた「錬金術」。金銀以外の金属から金を生み出すというロマンに満ちた野望ですが、ふと思い出してしまいました。

私も行列がひく夜や早朝にお参りに行きますが、幸せな気分になって帰ってきます。

そんな感じでいいのではないでしょうか?

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御金神社(みかねじんじゃ)

〒604-0042 京都市中京区西洞院通御池上る押西洞院町618

075-222-2062

MAP / https://goo.gl/maps/3LS8tDmUuXSx3kYT8

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